バスケットの歴史
タイトル 「バスケットボールの歴史」
筆 者  山下浩輝
所 属  個人特訓教室生徒
掲 載  未掲載


メールマガジン編集長宛。少し、誤字脱字あり。僕が今回バスケットボールについて、調べてみようと思ったのは、普段何気なくやってるこのスポーツの歴史や時代的な背景を知ることにより、さらにこのスポーツの深みに近づけると思ったからです。
 まず、バスケットボールを語るにあたり、創案者であるジェームズ・ネイスミスという人物は外せません。このネイスミスは一にも二にもまずクリスチャンであり、スポーツのインストラクターであることは二の次でしかありませんでした。しかし、聖職者に就くことを選ばず、若者の心を成長させる手段としてスポーツを用いる方法を見つけ出したいと、常々考えていました。さらに、ネイスミス自身が恐るべきアスリートでした。例えば、従兄弟の農場で一日十六時間働き、その後に納屋の手すりで片腕懸垂ができたほどです。ネイスミスは神学校での研究を終え、インターナショナルYMCAトレーニングスクールで働こうと思いました。YMCAがクリスチャンの目的のためにスポーツを使っていると聞いていたからです。ネイスミスがそこで最初にあった一人がエイモス・アロンゾ・スッタグでした。彼も非常に天賦の才に恵まれたアスリートでした。また、プログラム担当ディレクターはルーサー・ホールジー・ギューリック・ジュニア博士とも出会いました。ネイスミスと同様体育が好きなクリスチャンです。三人は後々歴史に名を残すことになります。
ギューリックは現代体育の先駆者として、スタッグはアメリカン・フットボールの権威、ネイスミスはバスケットボールの父としてです。学校に来て二年目、セミナーで、各学生が思い描く新しいスポーツについてプレゼンテーションを行いました。学生が一番気に入ったのはネイスミスの案  - 後のバスケットボール草案 -  でしたが、その時はまだ非常に漠然としたものでした。同じ頃、25歳から30歳のネイスミスが個性派集団と呼んでいた一般事業担当主事養成クラスは、YMCAの体育館で、長い冬の間ずっと器械体操と柔軟体操とタンブリング場かりであることに反発。寒くて湿気のある天候のために屋外でスポーツができず、学生達はうんざりしていました。『問題は彼等にあるのではなく、私達が漬かっているシステムにある』と、ネイスミスは教授会で言いました。そこで、ギューリックは二週間、クラスを彼に任せるという対応をとりました。しかし二週間はまもなく終わろうとしているのに、ネイスミスは何も生み出せずにいました。だが、ある晩、じっくりとその問題を集中的に考え、セミナーでだした案を発展させました
、彼は、『新しいゲームはボールを使ったものにしなくてはならない』と、考えていました。なぜなら、当時のチームスポーツはすべてボールをつかっていたからです。そして、ゲームの難しさはボールのサイズに反比例すると理論だてました。そこで、彼は大きなボール、サッカーボールを選びました。ネイスミスはラグビーやサッカーのような身体接触がないゲームを望んでいました。例えば、タックルの禁止など。これを考えていた彼の頭にうかんだのが、パスという発想でした。次の問題は得点だった。ネイスミスは地上にゴールを置かない方がいいと考えていました。ゴールが近くにあると、阻止しようとするプレイヤーどうしが必要以上に接触し、必要以上にフィジカルなプレイを伴うからだ。彼は雄ガモ落としと呼ばれるゲームを思い出しました。このゲームでは、高い弧を描いて石をなげるのが、最も効果的なテクニックとなっていました。
ネイスミスのゲームは三次元に広がり、簡単にショットをブロックできないようにプレイヤーの頭上にゴールが設置されました。実際にゲームをやってみる段階になると、ネイスミスは体育館の用務員のところに行って、18インチ四方の箱を二つたのみましたが、箱はありませんでした。代わりに用務員は用務倉庫に転がっていた古い桃のカゴを二つ使うように勧めました。ネイスミスはカゴを体育館の周りをぐるっと囲むちょうど高さ10フィート 305cmのところにあった手すりにクギで打ち付けました。初めてのゲームにはドリブルがなく、ボールは全部パスで動かしました。ネイスミスはプレイする理想的な人数を1チーム9人と考えましたが、許容されるチームの人数は3人からなんと40人まで幅を持たせていいとしました。さっき配付した発案当時に採用された13のルールを見てください。7や9のルールなどは今とかなり違いますが、他は現在とあまり変わりません。ネイスミスはわずか一時間でこれを書き上げたというから驚きです。
 バスケットボールは人々にとって斬新なボールゲームでした。そして、ネイスミスが教えた学生の多くがゲームを学んだ後もまもなく、クリスマスと信念の休暇で帰省したり、他の場所でゲームのことを伝えたこともあって、多くの人々にすぐに広まり、受け入れられていきました。テレビやラジオのなかった時代に新しいゲームはわずか数ヶ月という驚異的なスピードで全米中に普及していきました。また、ネイスミスは、この自分が作り出したゲームを最初に行ったプレイヤー、つまり屋内スポーツよりもサッカーやラグビーを好んだ者の間に広く認められることを好みませんでした。彼らは、フィジカルにプレイする習慣があるので、そんなことや腕力を使ったプレイを制限したり、さらには排除したゲームを頭に描いていたからです。「男らしく紳士的にプレイされることを奨励し、強引に腕力を使うことよりも、頭脳をもちいたプレイのほうが勝ることを示すのが我々の役目だ」と、彼は書いています。しかしながら、初期のころのゲームは実に粗暴なものでした。これは一部にはルールが十分に考えられておられず、プレイヤーのほとんどはラグビーなどの体のぶつかり合いのあるスポーツ出身者が多かったことによるものでしょう。
この後、プロバスケットボール NBAが発足しました。粗暴だったこのゲームは主にNBAによりどんどんルールが改正され、現在にいたっています。
 最後に、バスケットボールの歴史に見え隠れするさまざまな時代背景について述べたいと思います。バスケットボールが飛躍的に広まったのは、第一次世界大戦によってアメリカ軍のヨーロッパ進駐による影響が強いと言われています。ここで一気に広大なヨーロッパ大陸に広まっていきました。しかし、アメリカ大陸のなかで徐々に認知度を上げてプレイされはじめてはいたものの、どこを見ても当時の時代背景をはっきりと示す、白人のみのチーム構成であることが、残された資料写真などにくっきりと表れています。アフリカから連れてこられた黒人はまだ、極端な差別の中に置かれており、南部の綿花やとうもろこしの生産に従事するのが主で、まだまだスポーツをする余裕など考えられない状態のころでした。1863年にリンカーン大統領によって奴隷解放宣言はされていても、結局、南部の黒人が数多く北部へ移住する1916年ごろまで待たなければならなかったのです。これは北部工業地帯の自動車産業などの急成長で多数の労働力が必要とされることになったに他なりません。安定した賃金収入が保証され始め、さらにその子弟たちの就業率があがるにつれてバスケットボールのみならず、いろいろなスポーツに触れることが可能になってきたのがこの時代です。アメリカという国はよく人種のるつぼといわれるように、多くの移民で成り立っている国です。だが、明るい自由の国といわれるその裏側には先住の民族への迫害や、黒人奴隷の犠牲によって初めて出来上がっているのが、このバスケットボールの歴史の中にも見えました。
バスケットボールの偉大なる歴史

            53R44番 山下 浩輝
 
 人物紹介
 
 ネイスミス ・・・クリスチャンで恐るべきアスリート。サッカー、ラグビー、ラクロス等のプレイ経験をいかし、バスケットの父となる。
 スタッグ  ・・・大学でフットボールと野球のスタープレイヤー。アメリカン・フットボールの権威として、後世に名を残す。
 ギューリック・・・体育が好きなクリスチャン。現代体育の先駆者として、後世に名を残す。

 発案当時に採用された13のルール
 1.ボールは片手または両手でどの方向にパスしてもよい。
 2.ボールは片手または両手でどの方向にたたいてもよい(ただし、こぶしは禁止)
 3.プレイヤーはボールを持って走ってはいけない。ボールは捕球した場所にパスしなければならない。そのプレイヤーが直ちに止まることを条件に、走っているプレイヤーにボールをパスすることは認められる。
 4.ボールは手で持たなければならない。腕の間や体で挟んで持ってはいけない。
 5.相手のプレイヤーをショルダリング(タックルする)、ホールディング(つかむ、抱きつく)、プッシング(押す)、トリッピング(つまずかせる)、ストライキング(たたく、殴る)することは禁止。1回目の違反はファウルになり、2回目で次のゴールが決まるまで退場、または故意に相手をケガさせようとしたのが、明らかな場合だとゲーム終了まで退場となり、交代のプレイヤーは認められない。
 6.こぶしでボールをたたいた場合、ルール3と4の違反の場合、ルール5に説明されることに違反した場合、ファウルとなる。
 7.どちらかのチームが連続で3つファウルをした場合、相手の1ゴールとなる(連続とは、相手がその間にファウルを犯していないという意味)。
 8.地上から投げられるかシュートされたボールがバスケットに入るとゴールとなる。ただし、ゴールを守る側はゴールに触れたり、ゴールを邪魔してはいけない。ボールがゴールの端に載っていて、相手がバスケットを動かすと、ゴールに数えられる。
 9.ボールがアウト・オブ・バウンズになった時は、敵味方問わずにいち早くボールを追いかけて、触れたプレイヤーにボールをコートに投げ入れる権利が与えられる。だれが最初に触れたかが、わからない場合は、アンパイア(主審)がまっすぐコートに投げ入れる。ボールは5秒以内に投げ入れなければならない。もしそれ以上、時間をかけた場合は、相手のボールになる。どちらかがいつまでもゲームを遅延させていると、アンパイアがファウルを取る。
10・アンパイアはプレイヤーの動きをジャッジし、ファウルを記録し、3連続ファウルになったらレフェリーに知らせる。アンパイアはルール5に従って、プレイヤーを失格にする権限を持つ。
11.アンパイアはプレイヤーの動きをジャッジし、ボールがイン・プレイ、イン・バウンズになっているとき、どちらのボールかを判断し、競技時間を記録する。また、レフェリーが通常行うほかの仕事とともに、ゴールが決まったかどうかを判定し、ゴール数の記録もつける。
12.ゲーム時間は途中5分間の休憩をはさむ各15分の前後半で行われる。
13.ゲーム時間内に多くのゴールを決めたほうが勝者となる。引き分けの場合、キャプテンの合意で、どちらかのゴールが決まるまで続けることができる。



   参考文献
    1.バスケットボール ---そのきげんと発達---
      J・ネイスミス著、水谷豊訳、YMCA出版発行
     2.MONTHLY HOOP 2000年1、2、3月号